ブログ記事にあって、新聞記事にないもの



ブログ記事にあって、新聞記事にないもの。

それは個人の情感。

私は人のブログも読みます。

大好きな人のブログだったり。

最近、知った気になる人のブログ記事も。


アメブロの場合、コメント以外の簡単な表現は「いいね」しかないのですが、

そのうち、Facebookのように「すごいね」「ひどいね」「うけるね」なども

出て来るかもしれませんね。


今はまだ「いいね」しかないので、クリックするかしないかだけ。

これで、相手に伝えきるのは難しいですね。



例えば、ですよ。

相手がベテランのブロガーで、いつも楽しく読んでいるのに、今回は起承転結がバラバラ。

あら?どうしたのかな?と心配してしまします。

こういう時は「いいね」は失礼だと思い、何もアクションをしないで終わります。


相手がブログの初心者の場合は、

とにかく頑張って書いた記事。これは「いいね」をクリックします。

とにかく、書くだけでも精いっぱいなのにチャレンジしたのだから。

この「いいね」は、「きょうも読みましたよ」という意味。


相手によって意味が違う「いいね」ですが、表現は同じ。

だから、誤解を招くかもしれません。


…ここまで書いて、そんなことはないと思いなおしました。

私が誰に「いいね」を付けているかなんて、誰にも関係ないことですからね。



さて、本題です。

ブログには人が出る、のは本当です。

・感情の起伏や生活状態

・精神状態

・誰と付き合っているか、影響を受けているか

・どんな性格なのか

すべて分かります。


新聞記事の場合、書いた記者の精神状態や趣味、周囲の環境など分かりません。

それは、記事が紙面化されるまで何人もの目を通しているから。


フィルターが掛かって、製品として送り出されるから。

だから、新聞は面白くないという意見もあるのは知っていますが。

欧米のように記者の個性を出さないスタイルが日本の新聞ですから。


メディアコンサルタント・荒川岳志

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