期待されているということ
きょうはまったくの世間話。よもやま話です。
私が高校を卒業した年、浪人生活が始まりました。
北海道で浪人生活を送るなら、普通は札幌です。
しかし、私は東京に行くことを選びました。
親にも迷惑を掛けたくないというか…
親を超えるために働きながら浪人生活を送ると決めました。
今の時代とは違います。
30数年前、若者が働く場所は限られていて、私は新聞配達を選んだのです。
午前4時に起き、午前4時半には新聞販売店に着き、チラシを入れ、配達に出ます。
その時、私を必ず待っている人がいました。
70歳を超えたご隠居さんです。
和服姿でした。
玄関から出て、私をいつも待っているのです。
あ…私を待っていたのではなく、新聞を待っていたのです。
ご隠居さんは当時には珍しく、大学出だと言っていました。
そして、私が浪人生活で新聞を配達していると知ってから、
玄関先で必ず牛乳を1本、飲むように勧められました。
仁王立ちして「頑張れよ」と。白い髭。怖くて優しい目。背が高かったご隠居さん。
いまでも思い出します。
私は当時、朝刊を多い時で320部、配っていました。
当然、早く配り終えるようにコースを組み立て、不配が無いように頭に入れます。
だけど、そのご隠居さんは毎朝、玄関先で待っています。
ある時から、コースを変えて、そのご隠居さんへの配達を優先しました。
そして必ず牛乳を渡されて「がんばれよ」と。
牛乳が飲みたかった訳ではありません。
その和服姿のご隠居さんが、私の運ぶ新聞を待っている。
それに早く報いるために、ご隠居さんを優先しました。
この考え、今でも心の中にあります。
新聞記者は機械ではありません。情もある。
だから、あなたも取材してくれた記者と心を通わせて、何度も取材してもらえるように、
記者の考えを深く知る必要があるのです。
えこひいき、という言葉でくくるのは簡単ですが、そうじゃない。
人にはすべて心がある。情がある。だから対応も違うのです。
メディアコンサルタント・荒川岳志
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